在日大韓基督教会 = KCCJ

住所MAP〒169-0051
東京都 新宿区 西早稲田2-3-18-52
ジャンル教団
TEL03-3202-5398
FAX03-3202-4977
創立1908年
特色1908年、平壌より来日していた鄭益魯長老、金貞植東京朝鮮YMCA総務及び留学生が礼拝後に集まり、YMCAとは別に教会を設立(東京教会)することで意見が一致し、朝鮮長老会へ牧師派遣を要請した。これが在日宣教の始まりである。翌年10月、朝鮮イエス教長老会の韓錫晋牧師が来日し、教会組織を整えた。1912年には、朝鮮の長老会と監理会による宣教合意がなされ、両教会より交代で牧師が派遣され東京連合教会に仕えた。1910年の韓国併合後、日本の資本主義(メソジスト教会)は、日本人労働者よりも低賃金と劣悪な労働条件を強制できる植民地労働力として、朝鮮人の日本本土への移住を要求した。これにより在日朝鮮人の人口は、1920年3万人、1930年30万人、1940年120万人へと急増した。これに伴い在日朝鮮人への伝道も、留学生から労働者へ、東京地域から関西地域、九州、中部、北海道へと徐々に広がった。1925年、在日宣教は朝鮮イエス教連合公議会(KNCC前身)に引き継がれ、また、1927年からカナダ長老教会(L.L.Young宣教師等)が在日朝鮮人宣教に加わった。 1934年2月、在日本朝鮮基督教会大会が創立された。これにより、信条、憲法を制定し、組織教会となり、牧師・長老の按手が執行されるようになった。宗教団体法の公布の動きにともない、1940年1月、大阪にて臨時大会を開催し、日本基督教会から示された条件による「合同」を決議した。これにより「在日本」朝鮮基督教会は一教派としての解体を余儀なくされた。さらに1941年6月の日本基督教団成立時には、第一部に統合された。日本が太平洋戦争へと突入していく中で「在日」朝鮮人教会は、官憲の監視と弾圧、創氏改名や日本語の使用などが強要され、また治安維持法違反容疑などによる教会指導者の連行・拘束が始まった。 1945年8月15日、解放後、日本に残った教職者・信徒たちは、同年11月15日西京教会(現・京都教会)において、21教会の代表47名(内牧師3名)が参加し、「在日本朝鮮基督教連合会」を創立した。規則の制定、日本基督教団からの脱退が決議された。第3回定期総会(1947年)で憲法と信条が制定され、組織教会として再出発した。1968年の宣教60周年には標語「キリストに従ってこの世へ」を掲げ、記念事業の一環として、1971年、在日韓国人が最も多く在住する大阪生野区に在日韓国基督教会館(KCC)を、1974年に在日韓国人問題研究所(RAIK)を、1983年には西南KCCを設立した。また1974年と1994年の2度にわたって「マイノリティ問題と宣教戦略」国際会議を主催し、共生社会の実現を目指す使命を持って、新しい宣教活動を展開している。1990年より8回にわたって朝鮮基督教連盟(KCF)代表を招待し、「祖国の平和統一宣教に関する会議」を共催すると共に、4度にわたってKCF訪問団を平壌に派遣し、交流を深めてきた。エキュメニカル団体との関係は、1956年日本キリスト教協議会を初め、世界改革教会連盟(WARC)、世界教会協議会(WCC)、アジアキリスト教協議会(CCA)、日北米宣教協力会(JNAC)へ加盟し、1977年以降、本国7教団、日本基督教団、豪州連合教会(UCA)、米国合同キリスト教会、日本キリスト教会、米国長老教会等と宣教協約を締結している。1999年10月、第45回定期総会で、名称を「在日大韓基督教会」と改称し、憲法改正、総会規則を採択し機構改革を行った。現在、5地方会約100の教会・伝道所を統括している。
代表者・スタッフなど趙 重來(総会長)
金 性済
WEBサイトhttp://kccj.jp/

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